「辞めジャニ」ツートップ、郷ひろみと田原俊彦に会ったときのこと。そして感じる、現代の闇深さ【宝泉薫】「令和の怪談」(9)
「令和の怪談」ジャニーズと中居正広たちに行われた私刑はもはや他人事ではない(9)【宝泉薫】

そんな田原が登場したとき、先輩としてのライバル意識を見せていたのが郷ひろみ。『芸能人野球大会』での対決でやたらと闘志を示していたのが、記憶に残る。すでにバーニングプロダクションへと移籍していたものの、ジャニーズのソロアイドルとしては自分こそが草分けだという思いがあったのかもしれない。
72年に歌手デビューした郷は、75年に退所。在籍期間は短かったが、アイドルとしての輝きはひけをとらない。ルックスはもとより、あの声に、ジャニーをはじめ、筒美京平、岩谷時子、酒井政利といった才人たちが惚れ込み、それまでの歌謡ポップスになかった軽さやバタくささをもたらす存在となった。
そんな郷を取材したのは、前出の田原と同じ90年のこと。『週刊明星』で2号連続、計9ページにわたって掲載されたロングインタビューだ。そこでのやりとりを一部、引用してみる。
「特に、あの独特な声質をいかした、軽快でセクシーな歌唱法は、誰にも真似できるものではない。そんなことを指摘すると『でも、僕が作ったものではないですからね。もともと、こういう声だったから』と、彼は笑った。が、天性のものだからこそ『スター』なのである」
ただ、この時期の郷はちょっとくすぶっていた。70年代のジャニーズ事務所はまだ大手ではなく、移籍を強行しても人気は衰えなかったが、80年代半ば、松田聖子との破局あたりから右肩下がりに。ヒット曲からも遠ざかり、この取材前後には秋元康に頼って『アメリカかぶれ』という自虐的なタイトルのアルバムを出したり、そのなかで不倫ソングを歌ったりしていた。
そういえば、活字にしなかった部分でちょっとした思い出が。途中、彼に電話が入り、そのまま長話になって、インタビューが20分くらい中断したのだ。時間的な余裕はあったので問題はなかったが、待たされているあいだ、芸能人の取材に慣れている編集者はこれを「彼の虚勢」だと指摘した。自分は相変わらず多忙なスターなんだというアピール、というわけである。
なるほど、スターとは大変かつ面倒な仕事だなと感じたものだ。
なお、半世紀を超える郷の芸能人生において、ジャニーズ期は十分の一にも満たない。が、ジャニーについては「生みの親」だとまで言っている。また、過去に二度、活動を休止して渡米した理由について、
「うまく歌えない、踊れない、表現できないというコンプレックスを克服するためです。僕はジャニーさんから一度も褒められたことがなかった。それが悔しくて。レッスンを受ける間もなくデビューしてしまったのだからしょうがない、と自分に言い訳するのも嫌でたまらなかった」(婦人公論)
と、振り返ってもいる。
ジャニーにはジャクソン5、ひいてはマイケル・ジャクソンのようなスターを育てたいという夢があり、それを託されたのが郷や田原だった。退所後もずっと、ふたりには師を慕う想いが存在しているのだろう。
しかし、このふたりに限らず、ジャニーズ関連の芸能人たちがジャニーへの想いを好意的に語る機会はなくなってしまった。芸能史に異彩を放った名伯楽の優れたマネジメント術について、その手がかりをこれ以上知ることができないという点で、大きな損失である。
また、このふたりの退所後の運命、それこそ、干される干されないといった流れなどについては、退所時点でのジャニーズ事務所の勢いなどから、比較的理解がしやすい。
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